大分県(かぼす県)の県名とその他の地名の由来

大分県

広大だとされた平野は田が多いだけだった?
現在の「おおいた」という読みは、「おおきた」がいつの間にかなまったもので、『豊後国風土記』によると、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と感嘆して名づけ、のちに「大分」と書かれたとされています。

 

しかし、実際の大分平野は名前からイメージするほど広大とはいえず、狭く入り組んだ地に多くの田がある様子を「多き田」といったのが転じたとするのが最近の定説となっています。

 

一尺八寸山

難読というより、知らないと絶対読めない山名代表。
九州の日田市北西部、中津市山国町との境付近にある標高706メートルほどの「一尺八寸山(ミオウヤマ)」は日本に数ある「知らないと読めない地名」の中でも最も有名なものの一つとなっています。

 

なぜこのような難しい読み方をするかというと、この土地の殿様がシシ狩りをしたところ、大きなイノシシ三頭を獲物として捕らえることができ、その三つの尾をつなげると一尺八寸(約55センチ)あったことからこう言われると言われています。

 

地元では「三尾山」と表記されることもありますが、その由来を知る人はほとんどいません。

 

湯布院

もともとは「木綿」に由来し、由布院と湯平の合併で誕生。
かつては大分県のみではなく日本を代表する温泉地である別府市とともに「速見(はやみ)郡」に属していた地域で、「はやみ」とは「速水」とも書き、山腹からの川の流れが速いことからそう呼ばれています。この地は速見郡の中の「由布郷」にあたり、古くから「木綿(ゆふ)」の生産地だったため、そう呼ばれるようになりました。

 

『豊後風土記』に出てくる「柚富(ゆふ)峯」は、現在は由布岳といわれ、この山に自生する楮(こうぞ)の木の繊維から木綿を作ったことに由来しています。この地域は鎌倉中期から「由布院」と書かれ、「院」とは荘園の倉院のことでした。昭和30年(1955年)に由布院町と湯平村が合併して、「湯布院町」が誕生しました。