大分県(かぼす県)

大分県は豊後の国と豊前国のうち東半分とから成っていて、豊後の国は戦国時代にはキリシタン大名として知られる大友宗麟に治められていました。しかし、江戸時代には小藩乱立となって、福沢諭吉が出た中津藩が10万石、ついでは「荒城の月」の作曲家、滝廉太郎の故郷である竹田藩が7万石、大分はわずか2万石の城下町です。

 

大分には国府が置かれ、鎌倉時代からは大友氏の本拠でした。近代的な城を築いたのは豊臣時代の城主、福原信高で簡素な平城です。もともと府内と呼ばれていましたが、明治になって大分郡に属することからそれを町の名前としたと言われています。

 

大友宗麟は、晩年、磨崖仏で知られる臼杵に城を築きました。フグの肝というと微毒性があってかつて歌舞伎役者の板東三津五郎が食べ過ぎて死んだこともあります。普通は条例で食用を禁止されているのを、大分県だけでは賞味でき根強いファンがいますが、この臼杵では特にフグ料理が盛んです。

 

また、地元のフンドウキン醤油は甘めの味ですが、これが九州での醤油の味のスタンダードになっていて、キッコーマンの醤油よりもこちらがおいしいと感じるようになれば、本当の九州ファンです。

 

日本一の温泉といわれる別府は温泉の少ない韓国からの観光客にたいへんな人気で、日韓首脳会談の場としても選ばれました。その会場となった杉の井ホテルでは橋本・金泳三の裸の浴場会談で付き合いをという企画も用意していましたが、残念ながら実現はしませんでした。

 

この別府も、ほかの温泉地と同様に曲がり角に来ていますが、その打開策の一つとしてコンベンション施設ビーコンプラザを建設。設計は県出身の世界的建築家、磯崎新ですが、彼は大分市内にも多くの作品をつくっていますし、由布院の駅の設計も行っています。

 

別府の奥座敷ともいうべき湯布院は、町ぐるみで俗化を廃した落ち着いた湯の街づくりが成功し、たいへんな人気観光地になりました。そこからさらに、くじゅう高原から阿蘇、さらには参勤交代に使われ杉並木が美しい大津街道を熊本へ向かう山なみハイウェーは日本一の快適なドライブコースのひとつ。

 

県北では国東半島の石仏、紅葉が美しい耶馬渓、全国に4万もある八幡神社の総元締めである宇佐八幡宮などがあります。宇佐はローマ字で書くとUSAであることから、舶来品信仰が強かったその昔、メイドインUSAなどと書いた不届き者がいたという話もあります。ここの「西の関」は、全国でも最高の人気を誇る蔵元の一つ。

 

大分県は長く高速道路がない県でしたが、ようやく久留米から県西部経由で大分に入るルートで開通し、江戸後期の儒学者、広ひろ瀬せ淡たん窓そうで知られる天領の町、日ひ田たがサッポロビールの工場誘致に成功しました。

 

大分県民の県民性は地味でぶっきらぼうですが誠実で暖かい。元総理の村山富市は、そんなイメージをよく代表していると言えるのではないでしょうか。大分市内の古く簡素な自宅はすっかり有名になりました。